背景

水素ガスは様々な病態に対して治療効果を発揮するのではないかと考えられています。我々は動物実験を行って、水素ガスが心停止後症候群()に有効であることを発表しています(文献)。

心停止後症候群とは、主に病院の外で、突然に心停止状態(心室細動と呼ばれるような不整脈が突然発生することによっておこります)になり、救急蘇生術によって心臓の鼓動が再開したけれど、脳をはじめとした臓器の機能が損なわれている状態のことです。心停止後症候群になると、高度の障害が残り、寝たきりやいわゆる植物状態になります。完全に回復して後遺症をほとんど残さずに社会復帰を果たせるのは一部にすぎません。平成27年版の総務省消防庁のまとめによると、国内の院外心停止のうち、目撃された心停止は年間約 2万5千件です。このうち1ヶ月後の生存率は12%に過ぎません。また、心停止後症候群から回復して社会復帰する人は約8%であることがわかっています。

心停止後症候群が起こるメカニズムは、虚血再灌流障害と言われています。心停止状態では、臓器への血液の流れが止まり、細胞は低酸素の状態になります。心臓の鼓動が再開すれば低酸素の状態は改善されますが、活性酸素などが発生して組織にダメージが与えられます。これが虚血再灌流障害です。この虚血再灌流障害を最小限に抑える唯一の治療法は、低体温療法(近年、体温管理療法)と呼ばれる集中治療です。これは、麻酔をしながら体温を人工的に32-36℃に管理する治療です()。しかし、その効果には限界があり、さらなる治療法の開発が望まれていました。

心停止後症候群に水素ガス吸入が有効であることは動物実験で確かめていましたが、ヒトで有効か否かは明らかにはなっていません。そこで我々研究グループは、心停止後症候群の患者が安全に水素ガス吸入を行うことができるか否かを検証する臨床研究を行い、既存技術で対応が可能であると結論し(文献)、今回の臨床試験で、心停止後症候群の患者に水素ガス吸入を行って、本格的にヒトでの有効性を確かめます。

概要

今回の水素吸入療法による臨床試験では、心停止後症候群に対して従来の体温管理療法を行いつつ、人工呼吸に使用している酸素と窒素ガスに水素を加えて患者に吸入を行います。爆発の危険のない、2%水素を18時間だけ吸うことで、心停止後症候群が改善し、社会復帰される方が増えることを期待しています。

水素吸入療法が有効か否かを確かめるため、水素が入っている酸素と窒素を吸う場合と、水素の入っていない酸素と窒素を吸う場合の比較を行ないます。その際、研究者にとって都合のよい予断を排除するため、二重盲検無作為化試験()を用い、治療にあたる医師が水素の有無が全くわからない状態で臨床試験を実施します。

今回の臨床試験で水素吸入療法と従来から行われている体温管理療法とを行って、90日後の意識の回復や日常生活動作の評価し、脳の機能の回復度合いを比較検討します。この水素吸入療法は、厚生労働省から先進医療技術としての認定を受けて行なわれる有効性確認のための世界で初めての本格的な臨床試験です。

研究の成果の意義と今後の展開

この臨床試験で水素ガスの治療効果が実証されれば、水素ガスを「医療用ガス」として承認するための「治験」を行う機運が大いに高まるものと期待しています。そして、水素ガス吸入療法は、心停止からの回復以外に、脳梗塞や心筋梗塞など様々な疾病に応用可能です。また、水素吸入には大掛かりな装置は不要ですので、簡便で効果的な治療を行うことができます。そのため、救急医療にも迅速に普及することが予想され、大きな効果が期待できます。水素吸入療法の効果を実証する今回の臨床試験は、この画期的な治療法を日本が世界に先駆けて確立し、多くの患者の方を救う契機になると考えています。